2001年1月6日
神について
心に刺さった棘
実直そうな若者が立ち上がると怖ず怖ず(おずおず)とあの方に小さな声で聞きました。
こんな事を聞いて良いかどうか。どうか、つまらない事と笑わないでください。ただ、僕にとっては、深刻なことなんです。
私は、口が悪くて、つい相手を傷つけるようなことを言ってしまいます。言った後に悔やむのですが、もう、どうして良いか解らなくて。眠れなくなることもあります。
何気なく言った事、悪気があってしたのではないのに、大切な人を傷つけてしまう事がよくあるんです。自分の言いたいことや想いが充分に伝わらずに、イライラしてつい相手に当たってしまう。甘えだと解っているんですが、疲れている時なんて、八つ当たりをして、後で、落ち込む。どうしたらいいのでしょう。
相手のことを一生懸命に思ってやっているのに、相手に誤解されて、裏目に出てしまう。努力が足りない、思いやりがないと言うけれど、じゃあどうすればいいのか。哀しくなるのです。
些細な事で失敗したり、過失で事故を起こしてしまった時、どうしていいか解らない。ちょっと言い過ぎて、謝ろうとしたのですが、キッカケを失って、ついそのままにしてしまったなんて事があって。仲のいい友達とも、気まずい事になってしまったんです。
そんな些細(ささいな)な事が心の奥底に積もり、積もって、人と話をするのが、最近、怖くなってきたのです。でも、誰にも相談ができなくなくて。だからとっいて閉じこもってばかりはいられません。どうしたらいいのでしょう。どうすればいいのでしょう。
あの方は、優しく微笑まれると、次のように、若者に語りかけたのです。
決して、些細で、つまらない事ではありません。大事なことですよ。過ちは、人と人との関係の中で生まれるものです。重大な問題も、最初は、些細な行き違いが原因になることが多いのです。人と人とが解り合えるのは、大変なことです。許し合うのは、更に大変です。思い違いや錯覚は付き物。諍いや争いは絶えません。時には、憎しみや恨みに発展します。だからといって人と人との関係は避けて通れないものです。
人は、心に棘(とげ)を刺したままではいられません。
いつまでも心に刺さった棘は、その人を苦しめ続けるものです。
それが一見些細な事であればあるほど、人は、高をくくって甘く見ます。しかし、その棘は、やがて痼り(しこり)となり、ガン細胞のように苦しめ始めるのです。
先ず祈ることです。
そして懺悔(ざんげ)する事です。毎日、毎日、神に向かい。あるいは、人に向かって懺悔することです。懺悔された者は、決して、懺悔されたことを口外してはなりません。罪を認め、悔い改めるのです。
そうすれば、心に刺さった棘は自ずと消え去るでしょう。
人は、心に棘を刺したままではいられないのです。
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