2001年1月6日
神について
救いようのない人達
十歳ぐらいの少年が、元気よく立ち上がってその方に向かってハキハキとした声で問い掛けた。
誰でも救われるのですか。救いようのない人というのはいないのですか。
それを聞いてその方は、軽く声を立てて笑われ。次のように応えられた。
救いようのない人達はいますね。でも、それは、神の側の問題ではなく。救いようのない人達の問題ですね。
その子は、キョトンとした声で聞き返した。
それは、なぜですか。どんな人達ですか。
その方は、ゆっくりと腰をかけると諭すように話し始めた。
頑(かたく)なな人は、人の話を聞こうともしないから救いようがありませんね。
それから、自分の非を、罪を認めようとしない人も救いようがないな。
我のみが正しいと思い込んでいる独善的な人も取り付く島がない。
悔い改めぬ者も、当然、救いようがない。
それに、神の愛を拒み、背く者も救いようがないな。
自らを神とする者、神を怖れぬ者。神を信じようともしない者。
とにかく、神に対する畏敬心がないんだからどうしようもない。
そして、自分を愛せない者。
自分を信じない者。
自分がない人。
自分を偽る者。
自分を知らぬ者。
彼等は、自分自身を呪っているんだ、だから救いようがない。
人の意見を聞かない者もどうしようもない。
人を許せない人は、自分だって許せないんだから救いようがないね。
人を愛せない者は、自分だって愛せはしない。神の愛も信じられないね。
神が手をさしのべてもその手を振り払うのだから神様だって救いようがない。
そう言われるとその方は、その少年の方を向き。その少年の瞳を凝視するようにして言われた。
良いかい、それでも、神は、お救いになろうとされているんだよ。
救いを拒んでいるのは、その人達の心だ。
心を神に向かって一心に祈れば、神は、どの様な者でもお救いになられる。
分け隔てなどしないものだ。
救われるか否かは、あなたの心持ち一つなのですよ。
神の名の下に自爆テロをする者がいます。彼等はどうなるのでしょう。
一人の青年が、その方に向かって聞いた。
それを聞くとその方は、凛として言われた。
神は自立する。人の行為によって神を動かすことはできない。
神は、存在を司る者。神が、自殺を望まれることはない。
殉教は、生きようとして生きられぬ時に起こる。それを神は、否定はされない。なぜならば、その人がその人らしく生きることができない状況においてだからだ。
しかし、それでも神の名の下に罪を犯すことを許されるわけではない。
神は、この世の全てを愛されておられるのだから。
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