2001年1月6日
神について
二人の料理人
その方は、皆の方を、静かに見回すと、次のような逸話を話し始めた。
昔、ある村の名主の一人娘が結婚をすることになった。
その名主は、婚礼の余興に、料理の達人を、二人呼んで、腕を競い合わせることにした。
そこで、名主は、達人と呼ばれる二人の料理人を招き寄せた。
名主は、ただ、ふたりの料理人に、腕を競わせるだけでは、面白くないと考え、違った条件を出すことにした。
条件というのは、料理人は、それぞれ、名主から与えられた食材だけを使うと言う事である。
そして、名主は、一人には、ありとあらゆる最高の食材が、その料理人が望むだけ、あたえ。もう一人には、新鮮な魚だけしかあたえなかった。
魚だけしかあたえられなかった料理人は、竹串に魚を刺すと手早く魚に塩をふり、炭火で焼いて主人に饗した。丁度、主人は、おなかをすかせていたこともあり、おいしそうにその料理を食べた。
最高の食材を与えられた、料理人は、時間をかけてたくさんの料理を作って主人に饗した。主人は、これもおいしそうに食べたが、あまりたくさんありすぎたので、食べきれずに、たくさんの料理を残した。
二人の料理人の料理を食べ終わった主人は、どちらの料理もおいしかったので、判断に迷い。二人の料理人の話を聞くことにした。
そこで、主人は、二人を自分の部屋に招き入れ、まず、魚だけしか与えられなかった料理人に話しかけた。
どうですか。もう一人の料理人には、望むもの全てを与えたというのに、あなたには、新鮮な魚だけしか与えなかった。不公平だとは思いませんでしたか。
それを聞いた、料理人は、
最初は、少し、そう感じました。しかし、新鮮な魚を、見ているうちに、考え方が、変わりました。自分は、最初から、魚だけしか与えられていない。それも、大変に活きのいい新鮮な魚だ。考えてみれば、多くのものを与えられても、それを、生かしきれなければ意味がない。やることはハッキリしているだけで、後は、腕を見せるだけだ。主人が一番欲している時に、タイミング良く出せばいいと。お陰様で、自分は、悩むことなく自分の力を発揮することができました。
それを聞いて、主人は、もう一人の料理人の話を聞きました。
どうです。あなたには、望むもの全てを与えた。満足のいくものができましたか。
それを聞くともう一人の料理人は、少しうつむくと恥ずかしそうに答えた。
折角、ご主人に、たくさんの食材を与えていながら、全てを使い切ることができずに、ずいぶんと残してしまい。もったいないことをしました。その上、たくさんの料理を作りすぎで、食べきれずに残されてしまいました。心残りがします。
それを聞いて、主人は、声を立てて笑い。最後にこういわれた。
どちらの料理も甲乙がつけがたい。所詮、何が、おいしくして、まずいかは、それを食べる人の主観に過ぎない。私は、どちらの料理もおいしく食べた。ここは、引き分けにしようと・・・。
話をしおわると、その方は、また、皆の方をゆっくりと見回し、次のように語られた。
人生も同じ事だ。幸、不幸は、人の心の問題。神が与えたものを、最大限に、生かして幸せな一生を送ることも、多くの物を、与えられても、生かし切ることができずに、不幸になる者もいる。
大切なことは、何を与えられたかではなく。それを、どう、生かすかだ。
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