取り立てて何かをしなければならないという事はありません。
ただ、神を感じた時にそっと手を合わせればいいです。

それでは、自分たちの気持ちがすみません。
信仰が、心の有り様というなら、何か、気の済み様なやり方はありませんか。

その方は、当惑したように、ため息をつくと、次のように言われた。
そうですか、困りましたね。
信仰というのは、人に見せたり、ことさらに、こうでなければならないと、決めつけてはなりません。
ただ、確かに、自分の信仰を確認するという事なら、一つの目安を、お教えしましょう。

まず、日々の行いの基本は、祈りと懺悔です。
祈りは、想いです。
祈りは、願いです。
心にひたすらに思い続ける事、心にひたすらに願い続ける事、それが、祈りです。
そして、神への感謝です。
私を生かし、この世に、存在させてくれる神への感謝です。
ですから、神を感じた時、神を感じた方向に向かって手を合わせばいいのです。
もし、神への感謝の気持ちを表したいのならば、その方向に向かって、水を供え、祈りを捧げればいいのです。

懺悔とは、自分を清め、新たな自分を再生するために行う事です。
懺悔とは、自分自身と向き合い、自分自身と対決するために行うものです。
ですから、毎晩、神へ感謝の祈りを捧げた後、その日の出来事を告白し、悔い改めることがあれば、誓いを立てて、神へ祈ればいいのです。

もし、気持ちが落ち着かなければ、
ただ、ひたすら、赦したまえ、清めたまえと祈り続けてもかまいません。

大切なのは、自分が生かされている事を確認し、自分を、生かしている神に、日々感謝し続けることが大切なのです。


             


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