人の一生は、酷いものです。
人は、哀しいものです。
生きると言うことは、辛いものです。
人の一生には、苦しいことが多くあります。
生病老死。科学が発達し、我々の生活は便利になりました。しかし、それは、生活の利便が良くなったというだけで、人間の根元的な苦は、何も変わっていません。人の一生は、かなしく、辛く、苦しいものです。
どのように深く愛し合った者にも別れの時は、必ず来ます。取り返しのつかない、間違いを意図せずに起こすこともあります。信じてきた者に裏切られ、何気なく言った言葉に人を傷つけ。人をねたみ、のろい、恨み、争います。見栄や外聞とらわれて我を失い。自分の思い通りにならないことの方が多く。欲しいものでも手に入らないものの方が多く。たとえ、それを、手に入れることができたとしても、それだけで、満足できるものではありません。手に入れたら入れたで、奪われることを、恐れて夜も眠れなくなる。持てる者には、持てる者の悩みがあるものです。人は、不平、不満だらけです。そして、その不平や不満が、また、人を苦しめる。
苦悩は、人の価値観をも変えてしまう。正しいと信じていたものが、間違いであったと、気がつくこともある。考えを改めれば、それで、済む事もあるが、それで、済まないことの方が多い。なぜなら、人の世は、複雑に絡み合った人間関係、シガラミによって成り立っているからだ。自分の言葉によって傷ついた者、自分の行為によって、破滅した者、自分の過ちは、自分一人では収まらず、多くの人を巻き添えにしてしまうのである。力が、あればあるほど、その影響は果てしなく、地域を越え、時代を超えて影響し続けるのである。
それ故に、人は、人生の岐路に立たされるたびに、迷い、苦しみ、悩み、間違うのである。また、新たな出会いは、喜びと悲しみの、始まりでもあるのだ。
生きる目的は、自らが、見いださなければならない。目的は、絶対的、普遍的なものではない。目的に応じて行いや規律は決まる。故に、目的が変われば、行いや規律を改めなければならない。しかし、人生は、連続したものである。過去に犯した行いを改めるのには、過去の過ちを素直に受け入れなければならない。過ちを受け入れ、過ちを恥じ、悔い改めなければ、過ちは、連鎖していく。
ところが、自分の過去の過ちを認めるためには、犯した行いの結果を、すべて受け入れなければならない。取り戻せる結果ならばいいが、取り返しのつかないものもある。自分一人で抱えきれないものもある。それ故に、人は、神を必要としているのです。
神は、すべてをお許しになる。神に許しをこい、過去の過ちを恥じ、悔い改めて、はじめて、ひとは、自分の人生を取り戻すことができるのです。そこに、神の栄光がある。
人の一生は、楽しむものです。
人生は、喜びです。
生きると言うことは、心地よいものです。
人の一生には、うれしい出来事がたくさんあります。
愛する人との語らい。全力を尽くして働いた時の充実感。困難を克服し、目的を成し遂げた時の達成感。おいしいものを食べた時の満足感。暖かな日差しに包まれたときの心地よい気持ち。夢が現実になった至福の時。一家団欒。
あなたは、今まで生きてきた、ああ、良かったと感じたことは、一度もありませんか。心地よいと思ったことは・・・。
求めなさい。さらば、与えられる。
不平不満が、あなたの心をふさぎ、あなたの心の目をふさいでいるのです。本当に怖いのは、物質的な目ではなく、心の目が見えなくなることです。
人の一生は、喜び生きるにあるのです。その為に人は神を必要とし、その為に、人は信仰を必要とするのです。生きていることを、喜び、神に感謝する心こそ、あなたを救うのです。それ以外に、あなたを、苦しみから救うものは、ありません。
生きることは、喜びです。働く喜び。学ぶ喜び。生きることが、辛く苦しいことだと思えば、この世は地獄です。だから、地獄は、あなたの心の中にあるのです。
神を喜ばせたいのなら、人生を楽しむことです。なぜなら、神は、私どもを生かされているのですから。宴会に招いた者にとって、お客様に楽しんでもらう事が、一番嬉しいことです。喧嘩をして宴会をぶちこわしたり、つまらなそうな顔をされることが、一番、不愉快なことです。神は、私達を生かしているのです。だから、人生を最も楽しんでいる者こそ、神の意志にそう者なのです。
恋をしなさい。恋をすることです。人を愛する為には、自分に忠実になることです。そして、その思いは、神に通じる、すなわち、信仰なのです。
あるがままに受け入れなさい。哀しみも、喜びも、あるがままに受け入れるのです。人をうらやみ、ねたんだところで、何も良くはならない。あなたの人生のすべてを、あるがままに受け入れなさい。なぜならば、それがあなたの人生、あなたのすべて、神があなたに与えられた、すべてなのですから。
貧しい人は、貧しさによって、醜い者は、醜さによって幸せになれることもある。金持ちは、金持ちであるが故に、強健なる者は、強健なるが故に、不幸になることがある。何が、その人を幸せにするかは、その人の心によって決まる。
空を飛ぶ鳥は、人をうらやむであろうか。海を自由に泳ぎ回る魚は、人になりたいと思うであろうか。
何が公平で、何が不公平かは、あなたが、何を望むかによって決まる。あなたが幸せになりたいと望むならば、いつでも、どこでも、幸せになれるであろう。なぜならば、神は、公平に幸せを感じる心を、我々に、与えておられるのだから。
人は、神の前に平等です。神と自己とは、一対一の関係にあります。自己と神とが一対一であるという事は、人と神との間に何も介在しないことを意味します。それは、全ての人と神が一対一の関係であること、平等であることを意味します。人は、神の前に平等なのです。
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