神について思う

神は、遍在する


神は、ただ感じるだけです。
言葉は不完全です。神は完全無欠です。完全無欠なものを不完全な事で表せばその時から神の完全性は損なわれます。だからといって、神が不完全なのではありません。言葉が不完全なのです。神は、遍在します。
しかし、それを言葉にした瞬間から不完全なものになってしまいます。神は、肌で感じるしかないのです。
一瞬一瞬に神を感じるから、神は、無限に感じるのですが。どこにでもおられる。それこそ地獄にすら神はおられる。神は、その時々に変化します。
不易、変易、簡易。
しかし、神の本質は一つです。朝日が昇る時、神を感じ。夕陽を見てああ美しいなと神を感じ。美味しい物を食べた時に、神に感謝し。幸せだなと感じた時、そっと手を合わせます。生きていると実感した時、神を感じるのです。
その素朴な信仰こそ真の信仰であり、小難しい教義に神がおられるわけではありません。神とは、本当にごく当たり前でシンプルなのです。
何時でも、どこでも、すぐ目の前に居られる。


信仰とは、神を体感した人にとって、強まる事はあっても弱まる事はありません。
時とともに確信へと変化していきます。
神は、直接感じる以外に知りえません。
神を直接体感した人は、神は実在します。
しかし、神を信じない者は神は存在しないのです。
四十日というのは不思議ですね。
イエスも釈迦も皆、試練を受けて神と直接対峙します。

私は、それを神というも、天というも、空というも本質は一つだと思います。それは感じるのであって悟るのであって頭で理解するのではありません。

ああ、美しいとか、ああ幸せだとか、哀しいとか感じた時、その先に神の息遣いを感じるのです。
ただそれを静かに黙って受け入れた時、神の愛が全身に漲るのです。


http://www.t-koyano.jp/lovestm.html 神の愛

http://www.t-koyano.jp/lovestb.html 愛

http://www.t-koyano.jp/love1.html 愛とは何か


神の愛を感じられるというのは幸せな事ですね。
私も神の本質は愛だと思います。
ただ、神の愛を感じられる人は数少ないですね。

神は、人に欺かれ、侮られ、背かれてもなお恵みを与え、許しつづけてくださる。
それは神の愛、神の慈悲に他ならない。
人は、皆、神の祝福を得てこの世に生まれる。
神の愛は、ただ直に感じるしかないのです。


神の愛を素直に受けられる者は、神の祝福を受けられるのです。



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