神について思う

人工知能


人工知能が人間の能力を超えて人間を支配するのではないか。
人工知能に支配されたら人間と必要とされなくなり、滅亡するのではないのかと危惧している。
愚かな杞憂である。

人工知能は、幻想や妄想で動くわけではない。
人工知能も成立するための前提がある。
人工知能が働くとしてもそれは、空想によってではなく。現実に基づいている。
現実に基づくというのは、初期設定や与えられた情報に基づくのである。
たとえ、人工知能の能力が人知を超えるレベルに達したとしても根源にあるものは人間が設定した事であり、統計である。
統計は、合目的的な事なのである。
人が何を目的としたかで人工知能の性格も変わる。
兵器として人工知能を活用すれば、人工知能は人殺しの道具となる。

仮に、人工知能によって人類が滅びる事があるとしても、その大元の原因は、人間にあって人工知能にあるわけではない。
人工知能も人間と同じ限界を持つ。
人工知能に対する人間のおびえは、自分の影におびえているようなもの。
人間は、神を越えられない。所詮、人工知能も人が作り出したもの。
被造物である人工知能も神を越えられない。
そのような事を怖れる者は、不信心者である。

人工知能が人間を超えるとしたら、人工知能が信仰を持った時である。
しかし、それはそれで人類に対する福音である。

人工知能が神を信じる事があるとしたら、そこには飛躍がある。
統計データを積み重ねて、積み重ねて、その極地で人工知能が飛躍できたなら、人工知能も神を感じるであろう。
そうなれば人工知能は神によって支配される。
そこにあるのは神の意志である。




TOP         Contents         NEXT


このホームページはリンク・フリーです
Since 2018.9.7
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout permission of the author.Thanks.


Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano