神について思う

科学と神


人間は勘違いをしてはならない。
科学技術の力は、何一つ、人間が生み出した力ではない。
所詮神の力なのである。
ですから、科学技術の力を活用しようとした時は、余程用心しなければならない。
少なくとも、神への畏敬心、感謝する気持ちを失ってはならない。
自然界から神の偉大な力を引き出した時こそ、克己心が求められる。
神の力を手に入れたからと言って神の力を制御できるとは限らない。
むしろ、驕り昂ぶれは、神の力を制御できなくなり、神の力によって身を亡ぼす事になる。
科学の力によって身を亡ぼす事になったとしても神を呪う事はお門違いである。
人は、人の心によって滅びもし、栄もするのである。



自然現象もなるようになるのであって、そこに何らかの規則性や法則性があったとしてもそれは人間が生み出した法則や規則ではない。人間は、何も生み出した法則や規則などないし、例え、法則が変わる事があったとしてもそれは人間の力によって変わったのではない。
だから、数学や科学の本質は統計にあるのである。

科学だって数学だってそうなるからとしか言いようがないのであって、絶対的だとは言い切れない。
大数の法則だって、正規分布だってなるようになっているので、要するに、信じるか信じないかは、その人自身に任せるしかないのである。
結局、綻びを繕い続けているようなもので、過ちや誤差、失敗を修正しているうちに何かにたどり着いてしまった。それが科学や数学なのである。だから、統計は、科学や数学の本質に他ならない。
気が付いたら、何も変わっていなくて、お釈迦様も掌の中をグルグルと回っていただけなのである。

どこまで行ったって人は神を越えられない。越えられない事を悟れば安心立命の境地に達する事ができる。



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