神について思う

老いは


確かに、確かに、老いは哀しい。そうぶつぶつと呟きながら、独り言を言いながら闇の中を歩いていたんだ。
でもなぜ老人たちは歌を歌うのだろう。
歌を歌いと思うのだろう。

誰に聞かせたくて歌を歌うのだろう。

老いは哀しい。老いは、残酷である。
老いは、人の顔から感情を奪い取っていく。
喜びも、悲しみも、顔の表情から奪い取り、
虚ろな目だけが、深く刻み込まれた皴の奥から虚空を見つめている。

自分は、還暦を過ぎ。九十歳近くなった母を見ていてつくづく思う。

なぜ、人は老いから目を背けようとするのか。

命というのは生臭いものである。
老いも生臭い。
人の臭いがプンプンする。
歳をとると臭くなるのである。
それを否定したところで仕方ない。

人は、老いとともに独特のにおいを発する。

日本人は、これから老いと向かい合って生きていかなければならない。
おいてまだ生きるとは何か。
老いこそ、命を語る事に他ならない。

人は、生病老死の苦から逃れられたわけではない。
それはどんなに科学や医学が発展したところで同じこと。
生病老死の現実がなくなるわけではない。

老いる事によって人は何を失い何を得るのか。
老いを否定的にばかり考えても何も見いだせないのである。

老いるという事は生臭く生きる事なのである。

現代人は、長生きする事は災難であるかのような対応しかしていない。
しかし、長生きする事は悪い事なのであろうか。
災難なのであろうか。年寄りは厄介な存在でしかないのだろうか。

私は違うと思う。
老いが醜いというのなら、なぜ、多くの偉人は、老いた肖像画や銅像を残すのだろう。
老いた姿から、人の一生の歴史が感じられる。時の重さを感じる。
人生を感じる。

年寄りだからこそ世の中のためになり、年寄りにしか見えない世界がある。
それを見落としたら生きる事の意義など何もなくなってしまう。

確かに、確かに、老いは哀しい。
でも・・・。



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