神について思う

なぜここにいるのか


なぜ、俺達はここにいるのか。
誰かに、望まれたからここにいるのか。
皆、そう思いたいかもしれないが、信じてはいまい。
何か取り柄があって、誰かに認められてここにいるわけではない。
誰からも望まれず。誰からも必要とされず。誰にも認められず。
それでもなおここにいるのは、自分の意志でここにいるからではないのか。
じゃあ何のためにここにいるのか。
敗残者になるためではないはずだ。挫折し、周囲のお情けに縋(すが)るためでもないはずだ。
人生の勝者になるためにここにいるのではないのか。生きるためにここにいるのではないのか。
家族から、会社から、世の中から必要だとされる人間になるためにここにいるのではないのか。
以前、私は、あなたにとって必要な人間かと聞いてきた奴がいた。
俺はそいつに言ったんだ。必要とされているか、どうかなんて自分で決めろ。必要とされていると思えば必要とされているのだろうし、必要とされていないと思えば必要とされていないのだろう。仮に必要とされていないと思うのならば、必要とされる人間になるために努力するしかないじゃあないかと。
必要とされていないからといってここを立ち去れば、この世に自分の居場所などなくなっしまう。
皆、自分なりの都合や事情があってここにいるはずだ。
何かを守ろうとして自分の意志でここにいるはずだ。
それを忘れたら自分たちの居場所などどこにもなくなってしまう。
誰からも愛されず。蔑まれたとしても、それでもなおここにいるのは、生きる為ではないのか。生きて、人生の勝者になるためじゃあないのか。
確かに、一人の人間なんてちっぽけでとるに足らない存在かもしれない。
しかし、一人ひとりにとって掛け替えのない人生なんだ。たった一度しかない人生なんだ。
我々は、神の祝福を得てこの世に生を受けた。
皆、幸せになる権利は平等に与えられている。
問題は、自分が何を幸せだと感じるかだ。どうしたら幸せになれるかがわかったら、そして、幸せになりたいと思ったら形振りなんて構っていられない。
自分で自分の事愛せなくなったら、ただくず以下の人間に成り下がるしかないではないか。俺はずっと戦ってきた。お前に何ができる。思いあがるな、お前なんて何もできやしない。お前は自分を何様だと思っているんだ。誰もお前の事なんて相手にしやしない。うぬぼれるな。自信過剰じゃあないの。やったって無駄。結果はわかっているじゃあないか。
俺を挫折させ。俺の誇りをずたずたにし。辱め。諦めさせようとする連中と俺は闘い続けてきた。その中には、最愛な人たちや信じてきた人たちもいる。でもそれを裏切りなんて俺は思わない。俺を裏切る者がいたら、それは俺だけだ。
仕方がないと、俺は駄目なんだ、俺なんてと俺が思った時、俺は俺を裏切ったのだ。
生きている限り。どんな環境からだって這い上がってみせる。
戦って。戦って。戦い抜いてやる。
俺は諦めない。俺は、自分で自分を惨めにしたりはしない。
明日のために…。生きるために…。
ああ、いい人生だったと最後に呟けるようになるために。
人生の勝者になるために…。
最後に神の前に一人立たされた時、胸を張って自分の人生を生き抜いてきましたと報告できるように。


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