神について思う

苦労比べ・不幸比べ



苦労比べ、不幸比べをしたがる。
苦労話なんてしようものなら、私はもっと苦労したといいだす。
何でそんなに苦労した事が自慢になるのだろう。
苦労した事なんて何の自慢にもならない。
しかし、多くの人は苦労話が好きだ。
他人の不幸は蜜の味ともいう。

楽した事や幸福な事を話すと自慢だと受け取られる。
苦労話や失敗談は受けるが、成功した話なんて自慢話にしかならない。
成功なんて妬みの原因になるだけに過ぎない。

人を羨むのは、人と自分とを比べるからだ。
でも、人と自分とを比べたところで何の意味もない。
自分は自分なのである。

自分を信じるためには、自分を超えた何者かを信じる以外にない。
自分を超えたところに存在する絶対的な存在を信じるからこそ、他人と自分を比べる事の無意味さを知る。

人をねたんだどころで自分が幸せになれるわけではない。
人と比べて幸せだといしてそんな幸せは相対的なものである。

神は、成功も失敗も、幸不幸も超越した存在なのである。


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