神について思う
苦労比べ・不幸比べ
苦労比べ、不幸比べをしたがる。
苦労話なんてしようものなら、私はもっと苦労したといいだす。
何でそんなに苦労した事が自慢になるのだろう。
苦労した事なんて何の自慢にもならない。
しかし、多くの人は苦労話が好きだ。
他人の不幸は蜜の味ともいう。
楽した事や幸福な事を話すと自慢だと受け取られる。
苦労話や失敗談は受けるが、成功した話なんて自慢話にしかならない。
成功なんて妬みの原因になるだけに過ぎない。
人を羨むのは、人と自分とを比べるからだ。
でも、人と自分とを比べたところで何の意味もない。
自分は自分なのである。
自分を信じるためには、自分を超えた何者かを信じる以外にない。
自分を超えたところに存在する絶対的な存在を信じるからこそ、他人と自分を比べる事の無意味さを知る。
人をねたんだどころで自分が幸せになれるわけではない。
人と比べて幸せだといしてそんな幸せは相対的なものである。
神は、成功も失敗も、幸不幸も超越した存在なのである。
このホームページはリンク・フリーです
Since 2016.10.20
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures
belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout
permission of the author.Thanks.
Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano