神について思う

過ちを認め悔い改めた時、過去は蘇る。


私は、思うのです。自分を肯定的にとらえる事が出来たら、過去の経験は、宝庫ですよ。でも自分を否定的にしかとらえられなければ、過去の経験は枯れてしまいます。
ですから、私は、自己と向き合い「個としての自分を確立」できたら、過去は蘇ってくる。私はそう考えるのです。
今日の自分があるのは、今日までの自分の人生すべてがあったからだと思うのです。
失敗も過ちも、それこそすべてが自分の宝だと…。
自分が歩んできた道は一本道です。だから、一生なのです。
そして、その一本道の先に待いるのは、自分が信じて貫いた思いの果てです。
自分を待っているのは、神の栄光か、己の悪業の報いか。
自分を待っているのが何かは、自分が何を信じたかによって決まります。

心の豊かさは、自分の心の在り様によっ定まるのだと思います。

私は、過ちや失敗は、それを素直に受け入れ、悔い改める事が出来たら、それは財産になると思うのです。

それに、自分の短所や欠点、限界を認めれば、そこから、他者を認め受け入れる端緒になると考えるのです。
つまり、指導者の器になると思います。
人の苦しみは、自分の失敗や過ちを認め、自分の短所や欠点、限界を受け入れられない事によると思うのです。
プライドとは何か、自尊心とは何か。
それは、例え、過ちや失敗を受け入れ、短所、欠点、限界を認めても、「俺は、俺だ。」と言い切れる自分があって誇りだと言えるのだと思います。
いくら、成功しても自信につながらなければ、それは、本当の意味の自尊心ではないと思います。
これまでの出来事全てが自分の未来を約束しているのだと思います。



人を知る者は智、自から知る者は明なり。人に勝つ者は力あり、自から勝つ者は強し。
足るを知る者は富み、強めて行なう者は志あり。その所を失わざる者は久し。
死して亡びざる者は寿いのちながし。

君子もって独立して懼れず、世を遯れて悶うることなし。



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