神について思う
今でも人は神を侮辱し続けている。
日本の知識人やメディアの人間は、イスラム教の過激派を狂信者集団といい、特異な目で見るが、無神論者の過激派とどこが違うというのか。
日本人は、自分たちが無神論者だと思っているから、どこか、神を信じる者を蔑んでみる傾向があるが、世界で見れば無神論者の方が少数派なのである。
そのような偏見に囚われているから、テロの背景に隠された深刻な問題を見落とすのである。
テロを肯定はしないが、暴虐の陰に隠された暴虐を見落としてもならない。
イスラム教徒だから過激なのではないし、イスラム教徒だけが過激なのではない。
そのような考え方は、宗教に対する偏見を増長させるだけである。
宗教や思想は、テロのような過激な行動を触発するかもしれないが、テロを引き起こす本質的な原因ではない。
貧困や差別、失業、格差、飢餓、環境の悪化といった問題があるから、それに、宗教や思想が結びついて過激な集団が生まれるのである。
テロを生み出す土壌が問題なのである。
人は、自分の犯した罪を、何かと神の性にする。
人の罪は人の罪、神の罪ではない。
挙句、神のためだなんて自分の行為を正当化しようとする。
悔い改めけない限り、自分の犯した罪に苦しまされることになる。
科学者を弾圧したのは、神ではないし、異教徒を虐殺したのも神ではない、教義に反するからと言って裁判にかけたのも神ではない。イエスを宗教的理由で十字架にかけたのも神ではない。
貧困を生み出したのは、神ではない。差別を生み出したのは神ではない。戦争をするのは神ではない。暴君を生み出したのは神ではない。圧政を生み出したのは神ではない。
自爆テロをせよと命じたのも神ではない。
今日の科学を生み出したのは、唯一全体なる存在に対する信仰があったからこそである。
神を怖れる事を忘れた者は、自制心を失い、原子爆弾や生物化学兵器のような兵器を生み出し、かつ使用するのである。
神を否定した科学者に真理を探究することなどできはしない。
物事の現象を説明できるようになったからと言って物事の心理を明らかにしたとはいえない。
なぜなら、説明できたからと言って真因を明らかにしたことにはならないからである。
神は、神聖にして冒すべからず。
神は不可知な存在、不可思議な存在である。
人は、今も神を侮蔑し続けている。
人は、ただ一人、神と対峙させられた時、神に何と申し開きをするというのか。
人は、最後にただ一人、素の姿で神と対峙する事になるのだ。
ただ一人、神と向き合う事になる。
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