神について思う

自分を信じ、自分に正直


私は、信仰は、純粋に個人の問題だと思っています。
ですから、強要される事でも、強要する事でもない。強要する事もできない。

つまり、確固たる自己を確立するためにある。
自己の認識というものは、相対的で、不確かで、不完全です。

未来は、確実でも、絶対でもない、あいまいで、漠然としている。
その不確かな未来に向けて我々は生きている。
何を信じて、なによって決断したらいいのか、何もわからないままに、生きていかなければならない。
絶対という確信を元る事なんてない。未来は深い霧の中に隠されている。

確実な事が何もなければ自分で決めるしかない。
自信がなければ他愛のない事だって決められなくなってしまう。
自信がないと言ったら決断した結果に対する責任も持てなくなる。

だから神に祈るしかなくなるのです。
そして、自分の過ちを受け入れ悔い改めるにしても、自分を超えた唯一絶対なる存在を受け入れ、無条件に信じる以外自分を保ち、自分の魂を救済し、浄化する術がない。
この事を理解しないと間違った信仰によって我を見失い、魂を奪われるのです。
ですから、私は、神と自分との間に何物をも介在する事を認めない。
ただ、自分の信じる神と常に一対一に対峙し自分の魂を純化する事に心がけているのです。
その時、その瞬間にしか自己は存在しない。
たとえば、どんな罪もただ懺悔すれば許されるのだろという意味ではありません。
常に、最善を尽くす事が大切なんです。
最善を尽くした結果、顧みて過ちだったことに気が付いたらそれを認め改める。
悔い改める事がなければ神がではなく。自分が許せなくなります。
自分に正直に、自分に誠実に、自分を許し、
自分を愛し、自分を信じる。
自分の弱さも、醜さも、欠点もあるがままの自分をあるがままに受け入れ、神にゆだねる。
それこそが僕の言う信仰なんです。



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