神について思う

行き着く先



聖人も、哲人も、賢者もいろいろな人がいて、人それぞれ違う事を言っているように見える。
しかし、本物といえる聖人や哲人、賢者が言う事は、皆、言っている事は一見違うようだが、その言わんとしている事が指し示す方向は同じ処で、その指し示す先に居られるのは神である。

どんな聖人も、哲人も、賢者も、愚か者も、乱暴者も、無法者も、無頼漢も、悪党も、善人も、美人も、醜女も、権力者も、奴隷も、天才も、凡人も、誇り高き者も、卑屈な者も、富む者も、貧しい者も神の前にたった一人でたたされる時が来るのです。
全ての虚飾をはぎ取られ何も着飾る事ができない素裸な姿を神の前に晒しても、恥じる事のないように生きる。
私の願いは、それにつきます。

人は、神の前に平等なのです。

もう今の科学も政治も宗教も哲学も経済も、私は、限界だと想っています。
なぜか、真実の神の姿を人間は見失ったからです。
いま一度神と正面から向き合い、全てをやり直さない限り明るい未来はこない。

神よ、蘇れ。
そう私は叫び続けているのです。
そして、私は気がついたのです。
神が人間を必要としているのではない。
人間が神を必要としているのだと。



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