神について思う
見果てぬ夢
僕の夢は、神の国の実現ですかね。
我々は、老いについて語る時、現代人は、制度や施設ばかりを問題にする。
しかし、魂や老いの意味、家族のあり方、道徳や人生については何も語ろうとしない。
況んや神については語ろうとしない。
制度や施設の事も金の問題に過ぎない。
結局、年老いた者は、家族から見捨てられ牢獄のような施設に入れられる事になる。それが現代人が考える老い。
それが近代的合理精神だという。しかし、そこには血も涙もない。
義理だって人情だって欠片もない。そういうのが合理的だという。
生きるとか、人生とか、人としてというような考えは世迷い言だという。
だが、釈迦は、生病老死を突き詰めて悟りに達したのです。孔子は、孝行を説いた。キリストは愛です。
現代人は、金と物と制度、それを進歩というならくそ食らえです。
要するに哲学がないし、哲学や新しい信仰を生み出す事を諦めた。
諦めた時に魂や精神の救済は失われたのです。
魂の貧困です。真の豊かさを追求するのが真の経済学。
誰も救われないのです。年寄りは、長生きした事を後悔するようになる。
長生きする事はリスクなんです。そんな馬鹿な。
長生きする事が喜びにならないなんて。
長生きすればするほど孤独になり、物心伴に貧しくなる。
年寄りは世の中の邪魔であり、家族からものけ者にされる。
働く事や社会に役立つ事をする事も許されない。みすぼらしく老いさらばえていくしかない。
そんな世の中を変える為には、新しい哲学、新しい信仰、新しい経済学が必要であり、
それを有色人種であり、東洋人であり、日本人である自分が作る。
それが夢ですね。
そして気がついたのです。我々は神の真実と向き合っていない。何物にも囚われる事なく、神と純な魂で向き合えたら真実の神を知る事ができる。神は全てをお見通しで、全てを許されている。神と向き合っていないのは自分なのである。
自分の魂の救済もできない者がなぜ他人の魂の救済ができるのかと・・・。
どんな聖人も哲人も賢者も権力者も、全ての虚飾をはぎ取られ、神の前にたった一人でたたされる時が来る。
何も着飾る事ができない裸な姿を神に恥じる事のないように生きる。
信仰の本質は、それにつきるのである。
神に恥じぬ生き方を貫き通す事こそ本懐です。
ただ一人神に向かって一途に進む。
それこそが見果てぬ夢です。
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