神について思う

死に神を恐れる事はない。



暗闇の底で死に神がじっとこっちを見ている。
死に神を恐れる必要はない。

死に神は怖くない。
死に神は不吉だと忌み嫌われるけれど、死に神は、悪ではない。
死に神は怖くない。
むしろ死に神は、優しい。静粛で、純粋で、穏やかである。
死に神が冷酷非情だと誰がしたのだろう。
死に神は温かい。
人は切羽詰まるといろいろな事を考える。
その時、死に神の目をじっと見つめると心が落ち着く。
死に神は、微笑んでいる。
死に神は、人を殺したりはしない。
ただ、迎えに来るだけだ。
ただ、じっとその人の生き様を見守り、そして、最後には導いてくれる。
だから、昔の人は迎えが来たというのだ。
死に神を恐れるのは、自分の生に自信を失っているからである。
死の底に生がある。静寂がある。
涅槃寂静。
死に神を恐れてばかりいたところで意味がない。
死は、ただ受け入れるしかない。
しかし、死を見つめる事は生を求める事である。
死を恐れるくらいなら、死を見つめ、生きる事を思え。
だから死に神を恐れる事はない。
死に神は生きる事を教えてくれるのだから・・・。

私は、死に神が好きだ。

死に神の姿は骸骨だったり、鬼だったり、いずれも醜い。

でも本当は、天使や御仏のような、お地蔵様のような姿なのかもしれない。
人は、ただ恐怖心でしか死に神を見ないから・・・。
死に神を醜く、恐ろしい姿でしか描こうといないけど・・・。
死は、静謐なのである。

死を見つめるから生きる事の意義を見いだす事ができる。
死に神は、人を殺したりはしない。
死に誘うだけである。
それより、死にたいと思った時、引き留めたりもする。
死は宿命だから・・・。
死に神にとって死は神聖な事なのである。
易々と死んでもらったら困る。
死にたいと思ったって死ねない時がある。
だから、死に神もなすべき事をなしてない者を死なせるわけにはいかない。

俺の人生に始まりはあっても、終わりはない。
そう言うと死に神はせせり笑う。
生きるという事はいつも始まりさと、死に神に語りかける。
でも死に神は、死は宿命さと優しく応える。

夜一人凍り付くような寂しさに包まれたら。
ただじっと死に神と対峙する。
暗闇の向こうを見透すように・・・。



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