神について思う
借 金
日本人にとっでバブルとは何だったのであろう。
世界一の金持ちであるかのように錯覚して、
多額の借金をして、あげくにバブルが弾けたら、多くの人に残ったのは、返しきれないほどの借金。
それは個人だけでなく、企業だって、国家だってしかり。
借金とは何なのだろう。
因みに、借金は人が作った事である。
バブルとはよく言ったものだ。
泡のような出来事だった。
性懲りもなく、人間は、まだまだ金に踊られている。
金は、神が作り出した物ではない。人間が作り出した物である。
だから、借金は人の世の問題。神には関わり合いのない問題である。
神は、超越者であり、絶対である。
善も悪も相対的である。
神は絶対である。故に神に善悪はない。
善も悪も人の問題である。
人は、自分の善悪によって裁かれる。
神の名の下にと言ったところで、根本は己である。
己の善悪、欲望でしかない。
だから真実は、己に胸に聞くしかない。
借金は、人の世の出来事である。
借金を作るのは自分である。
なんだかんだ理屈をつけたところで、金を借りたのは自分である。
金を借りる事が悪いというのではない。
借りた金を何に使ったかである。
そこが重要なのである。
借りた金を遊興に使ってしまえば借金ばかりが残る。
生きたお金を使えば何かしらの物は残る。
人の世は借り物でできている。
この身だって神からの借り物に過ぎない。
神から借りたこの身をいかに使うかで、貸しが返せたかどうかが決まる。
ただ無為に過ごせば神に大きな貸しを残すだけなのである。
そういう意味では、日本人は、神に大きな借金をしてしまったのかもしれない。
問題はそれをいかにして返すかである。
日本人が負わなければならない負担は、自分たちが作った貸しがあるからである。
神の性にしたところで意味がない。
環境破壊や戦争もしかりである。
それは人が神に作った借りなのである。
環境を破壊する事も争う事も人が原因であり、人が作った問題なのである。
神の問題ではない。
神を呪ったりしても報いは人が受けるのである。
キリスト教も、ユダヤ教も、イスラム教も、唯一の神を信じる者達にとって神は神である。
唯一の存在であり、絶対的な存在である。
故に、善も悪も相対的なのである。
神の名の下にテロを犯すのは欺瞞である。
なぜならば神は唯一絶対な存在であり、他はないからである。
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