神について思う

無名で、泡のように消えていく。


名もなく生まれて、泡のように消えていく。
それが神の思し召しであり、神の意志でなら、それも本望である。
己の為したことは、己のみが知れば良い。
それはそれでかまわない。

誰にも知られずに、神を信じて為すべき事を為すだけである。

誰一人、認めなくとも、神を信じて・・・。
神への真実を尽くしたい。
神への忠誠だけである。



ただ妻や子にだけは、理解して欲しい。
それは切ない思いなのかもしれない。
でもそれも未練なのだろう。

息子は、私の言葉には耳を傾けないだろう。
息子はきっと自分のことは忘れていくのだろうな。
私も息子に自分の遺志を継いでもらおうとは思わない。
神への信仰は、神に目覚めた者だけしか引き継ぐことは出来ないのだから・・・。

今の時代、親孝行なんて望みようもないし、望みもしない。
そういう道徳は過去の事。

これは、ささやかな願望。
それも神の思し召しに委ねるしかない。

ただ人は、生きていかなければならない。
人は神に生かされているのである。
神を信じるか、否かは、自分の意志で決めなければならない。

神と対峙した時、自分の本性と向き合わなければならない。
私は、神と対峙した時、神は何もおっしゃらないけれど、神の愛を感じる。
神の気配を感じる。
神の温もりを感じる。
神の優しさを感じる。
純なる魂にならなければ、信仰は成就しない。

恨んでも、憎んでも、死の前に、生の前に人は皆平等なのである。
ただ透徹した眼差しで命の向こうを見つめる以外にない。

私は、神の恵み。信仰の喜びだけは伝えておきたい。
今まで一人で戦ってきて、これからも一人で戦うことになるのだろう。
最後には、神の前に一人立たされるのだろう。

信仰の喜びは、その人の自覚がなければ伝えられないとしても、
私は、信仰の人々に喜びを伝えたい。

何時か、時空を超えて信仰の喜びを分かち合いたい。

名もなく生きて、泡のように消えていく。



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