2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神はお許しになると知りっていって悪を為した者も神はお許しになるのか。


神は、どんな事でもお許しになると予め知っていたら、人は、悪事を平然と重ねるようになるではないのか。
神は、予め神はお許しになると知っていて悪事を為す者もお許しになるのでしょうか。

神は、予め神は、お許しになると知りつつ悪を為す者も、お許しになります。
ただ、その者が、自分を許せるならばという前提があります。
赦しを請う者は、心から悔い改めなければならないという前提があります。

悔い改めよ。さすれば、神は、お許しになる。
悔い改める気持ちのない者を、神はお許しにはならない。
と言うより、できないのです。いくら神が許したところで、許しにはならないからです。
神の背中で、舌を出すようでは、許しようがない。
大体、自分で自分を欺く事で、結局、自分を許した事にはならないからです。

悔い改めるためには、自分の罪を罪として受け入れ、認める必要があります。
罪を罪として認めないで罪を認めたふりをするのは欺瞞です。
罪が赦される事を知っていて犯す罪は、その時点で、その者は、自分の罪を罪として認めていないのです。
だから許せるし、許されると思っている。
その欺瞞を欺瞞として理解していない者は、己が犯した罪を罪として本心から認めていないのです。

罪を罪として認めたなければ罪を犯す事はできません。
それを承知しているからこそ、神は、全てを許されるのです。

神を欺こうとする者は、神を欺く事を罪だと思っていません。
神を欺く事を罪と受け止めていない者の罪を、神は赦しようがないのです。

神は、自分の罪を罪として認め、悔い改めるのならば、どの様な罪もお許しになられるのです。

ドストエフスキーは、悪霊の中で「神は、どの様な罪でも赦される。少女を強姦する事も、老婆を殺す事だって何でも赦される。
しかし、それを知っている者はそんな事はしない。」と告白しています。

どんな罪も神は赦される。しかし、罪を知る者は罪を犯したりはしない。罪を犯す者は、罪の真の意味を知らぬ者です。
オレオレ詐欺のような事によって高齢者を騙し、なけなしの金をむしり取るような者も、人を殺して金を奪う者も、自分の快楽のために人の意志を踏みにじる者も、自分が犯している罪の深さを知らないから、罪を犯すのです。

自分の犯した罪を認め受け入れたら、二度と罪を犯そうとはしない。それこそが神の意志なのです。
自分の犯した罪を認め、受け入れ、懺悔し、悔い改めなければ、罪は許されないのです。赦したくても赦しようがないのです。




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