2013年10月23日 11:07:32
神について思う
巣立ち
人は、困った事があった時や都合が悪い事に出会うと神を頼るものです。
しかし、神を必要とするのは、困った時や自分に都合の悪い事に出会った時だけではありません。
むしろ、何気ない一瞬一瞬にこそ神の存在が発揮されるのです。
困った時や都合が悪くなった時に神が助けてくれないと恨み言を言っても始まりません。
時間は容赦なくたっていくのです。
そして、時は決断を迫ってくる。
何もしなければ、自分に責任は及ばないと錯覚している人が多くいますが、実際は何も決断しない事の方が罪なのです。
親は親としての責任、子は事しての責任があり、その責任は時とともに変わるのです。
時間がたつのは早いものです。息子もいつの間にか大きくなって、来年は、海外に留学すると言っています。
親にしてみればまだまだ子供だと思っていたのに、淋しいもので、もう、子供も巣立つ頃が近づいてきましたのだと思いました。
子別れする時に淋しいと思うのは人間だけなのでしょうか。
動物の世界では巣立ちは厳しいと言うか、激しいものです。
小鳥は、雛や卵に蛇が近づいてきた時、自分の身を囮にして、雛や巣の卵を守ろうとします。
外敵に襲われた時、身を挺して守ってきた子供を、時が至れば、巣立たせるために、親が子を襲ったり、突き落としたりして巣立地を促すと聞きました。
それに対して人間は、なかなか子離れができず。
いつまでもグズグズと子供扱いしてなかなか子供を手放せない親が多いものです。
それ故に、子供も、なかなか巣立ちができず、中にはいつまでも家に引きこもったりする者まで現れます。
まだ、息子は中学ですが中学を卒業したら海外へ留学すると決めているようです。
時折、幼い頃の息子の姿が目に浮かんでくる事があります。
今は外国と言っても昔ほど遠いところでもなく、国内の学校に行ったところで何年も帰ってこない子もいます。
巣立ってしまえば、その子にはその子の人生があります。
ただ、人の親心というのは又別でいつまで、いつまでも子供の幸せを祈らずにはいられません。
子が親の手元から飛び出し、大きな世界へ飛び立っていった後、
親が神に祈るのは、子の平穏無事です。
それが神への真のあり方だと私は思う。
たとえ、平穏無事を祈ったとしても叶わぬ時もある。
しかし、たとえ叶わない事と知りつつも平穏無事を祈らざるを得ないのが親心です。
その平穏無事を祈る親心にこそ神は居られるのです。
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