2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神は、手を伸ばせば、手が届くような処に居られるように見える。



神は、手を伸ばせば届くような処に居られるように見える。
しかし、神と人との距離は果てしなく遠い。

上もなく。下もない。
勝利もなく、敗北もない。
善もなく、悪もない。
成功も失敗もない。

勝者は、勝利に学び。
敗者は、敗北に学ぶ。
そして、それが限界なのである。

人は神にはなれない。

しみじみ、自分は平凡で、普通だなと思う。

今、世界は、サッカーのワールドカップ一色である。
勝負の世界は非情だ。
残されるのは勝つか、負けるかの結果しかない。

最後に残されるのは、たった一チームだけである。
何年も、何年も、この日のために積み重ねてきた努力も一瞬にして無に帰してしまう。
泣いても笑っても勝ちは、勝ち、負けは負けである。
敗者には言い訳すら許されない。

栄光や挫折は、有名選手だけの問題ではない。
全ての人間に関わっている。
どんな人間にも事の大小はあっても栄光や挫折はある。
それがどれほどちっぽけな事とは言え、その人その人の人生においては、全てを支配している。
栄光や挫折から人は何を学び取るのか。

栄光によって成功を手中に入れる者もいる。
栄光によって破滅する者もいる。
挫折を梃子にして成功への道を切り拓く者もいる。
一度の挫折から立ち直れない者もいる。

しかも、栄光の時は短く、挫折は長く残る。
多くのスポーツは、二十代前半で頂点を極める。
歳をとるに従って人は衰えていく。
人に与えられている時間は、決して長くはない。
たとえ頂点を極めたとしても、その時から衰えは始まる。
時間は無情である。
やり直しのきかない事ばかりである。
しかし、多くの人は無自覚に生活をしている。
いつまでも、同じように時が過ぎていくかのように錯覚をして・・。

しかし、失った時は取り返せないのである。
気がつけば、老いさらばえた己の姿を見て嘆くばかりである。
後悔、先に立たずである。

勝つ者がいれば負ける者が出る。
それが人の世の宿命である。
神は、栄光と挫折、どちらをお与えになるのか。
神を呪う前に、刮目して事に当たれ。

栄光も挫折も我が心の内にある。

勝者は勝利から何を学び。
敗者は敗北から何を学ぶのか。

省みて自分の力は人並みだなと思う。
普通だなと思う。
普通というのは平均的だなと思う。

決して自分の事を卑下して言うわけではない。
ただでは、人並みとか、普通とか、平均的というのは、どういうことなのであろう。
誰から見て人並みだというのか。何を基準に普通だとするのか。
平均とは何に対して平均なのか。
結局、自分の決めつけに過ぎない。
自分勝手な決めつけかもしれないが、
抜群にできるとか、優秀だと実感した事はない。
それはそれで自分はいいと思っている。
生きるとは、自分の道を歩き進むしかない。
百年に一人の逸材であろうと、天才であろうと、人は人である。
何が人並み優れていて、何が優秀かではなく。
何を自分は目指して前進しようとしているのかである。

その意味では、人並みでいいと思っているし。普通でいいと思っている。
天才になろうとも、英雄になろうとも思ってはいない。
ただ平凡であれば良い。

恵まれているし見える者にも人並みな悩みや苦しみがある。
何も取り柄のない者にも、望めば、普通に幸せを実現できる。
大切な事は、普通に悩み、苦しみ。
大切な事は、人並みな幸せを望む事である。

金持ちも金の問題で悩んでいる。
成功者は、失敗を怖れているし。
権力者だって力に怯えている。
美しい者は、衰えを許さない。

現代人は、人と人とを競わせて、何でもかんでも一番になれとあおり立てる。
一番にしか価値がないかの如く。
でも一番になる事だけが生きる目的だろうか。
世界で一番は、世界に一つしかない。
しかし、一番になったところで、所詮、神は越えられない。
一番になった事を楽しむ心のゆとりがあるならば、一番になる事も悪くはないが、
一番になる事を生きる目的にしてしまったら、後がなくなってしまう。

昔は、神の前で自分達の力や技を競ったものだ。
それは、勝利を神に捧げるために・・・。
力や技は神の賜である事を信じていたからである。
そして、勝者の敗者も神を怖れた。
勝利は栄誉であって強欲の賜ではない。
今は、金のために競う。
そして、勝者も、敗者も、神を怖れる事を知らない。

何が優れていて、何を非凡というのか。
ただただ、自分に正直に生きていきたい。
自分とって優れていて、自分とって一番であればいいと思っている。
自分と神にとって一番であればいいと思っている。
神様それで良いでしょ。

手を伸ばせば届くような処に神は居られるように思える。
しかし、人と神との距離は、果てしなく遠い。






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