2001年1月6日
神について思う
悪魔について
悪魔ほど不思議な、と言うより、自己矛盾に充ちた存在はない。
先ず悪魔が存在するとしたらどうなるのだろう。悪魔が存在することによってどの様なことが起こるのか。たとえば、戦争や災害、疫病が流行ると言うかもしれない。しかし、それは、戦争や災害、疫病の原因が悪魔だというのならば解る。しかし、戦争や災害、疫病は、悪魔が原因だとは限らない。悪魔がいなくとも戦争や災害、疫病は起こるであろう。極端な話、戦争や災害、疫病は、神の怒りによって起こると思っている者もいる。そうなると、悪魔が居ようと居まいと災難は起こる。
それに、悪魔というのは、自分達を害する者だというのならば、自分に敵対する者は全て悪魔と言う事になる。ところで人間を害する最大の者、つまり、人間の天敵とは何かと言ったら、人間である。となると悪魔は人間か。人間的な者になる
残酷という基準で計れば、悪魔の正体は見えてくるのか。悪魔というのは、冷酷非情な存在で、残忍な存在だ。残虐な奴こそ悪魔だと言うことになる。
戦争中、何十万という無辜の日本の民が、アメリカの爆弾によって焼き殺された。それでは、アメリカ人は、自分達は、悪魔だと認めるだろうか。そう言う日本人だって中国大陸では酷い事をしてきたではないか。アメリカ人は、罪など認めはしない。彼等は彼等の正義で闘ったのである。過去に遡れば、他国と争ったことのない国などない。争いの中で残酷な行為は起こる。
白人は、黒人を奴隷にしてこき使った。それだけでも、黒人から見れば白人は、充分悪魔的だ。しかし、それ以上に、黒人を輸送する時、それは惨い扱いをした。ならば、欧米人は、自分達を悪魔だと認めるであろうか。確かに、間違いは、認めるかも知れない。しかし、だからといって自分達は悪魔だなどと開き直ったりはしない。
では聖なる者は、残忍な事をしないのか。中世の魔女狩りは、神の名の下に行われた。最近のテロもまた、神の名の下に行われている。神の名の下に行われる行為はかえって残忍なものになりやすい。なぜならば、最初から神がお許しになっていると信じているからである。神のために行う行為だからである。だから、魔女とされた者の多くは、最も残忍なやり方、火炙りや八つ裂きにされて殺されたのである。
こうなると悪魔だけが残酷なわけではない。人間は、神の名の下に、また、正義の名の下に、結構、残酷なことをしているのである。
ナチスは、ユダヤ人を悪逆な民族として粛正、虐殺した。ユダヤ人から見れば、キリスト教とは悪魔のように見えるであろう。キリスト教徒から見れば、ユダヤ人は、キリストを十字架に掛けた張本人という事になる。
これでは、どちらが悪魔なのか解らなくなる。
何を信じるかによって悪魔にも、神にもなる。しかし、神は絶対である。見方によって変わるのでは神ではない。悪魔は尚更のことである。悪魔だというならば、誰から見ても悪魔でないとおかしい。
じゃあ神の対極として悪魔を想定すれば良いではないかというと、神の性格が問題となる。つまり、神は、善と悪とを超越した、創造主だからである。つまり、絶対者である神に相対的な基準を当て嵌めることができない。絶対者に対極そのものがないのである。土台、神には、善も悪もないのである。
悪魔が、自分を悪魔だと認めたらどうか。これこそ自己矛盾の極みである。
神は、善も悪も関係ない。善か悪かは、自己の内にある。ならば悪をなすというのは、自己の信念に反する行為を言う。人殺しを善だとする者がいたら、人を殺さない方が悪になる。そんな者はいないというが、戦争という極限状態では、よくあることである。殺さなければ自分が殺される。そして、敵を倒さなければ、味方がやられる。そうなると、相手を殺すことが善となる。しかし、戦争という極限状態でない場面で人を殺し事を善としたら、どうか。しかし、人を殺すと言う事は、即ち、自分が殺されることも善しとしなければならない。そうなると、自分が生きている事、存在していることを否定する事になる。究極的な自己否定である。だから、悪魔というのは、自己否定の権化だと言う事になる。しかし、悪魔が自己否定をしたら、自分の存在を認めないという事になる。そうなると存在そのものを否定する事になる。これは、自己矛盾の極みである。
悪と善は、二律背反のものである。だから、悪を善とするのは、最初から自己矛盾を起こしているのである。
こうなると、悪魔という存在は、不可解な存在。自己矛盾の極みだと言える。この様な悪魔を信奉したり、信じるのは、結局、おのれの悪行を正当化するために開き直ったに過ぎない。悪魔にとっては迷惑な話である。
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