2013年10月23日 11:07:32
神について思う
陰謀論
巷間、流れている陰謀論は、半分は正しいと言えるが、もう半分は間違っている。
正しいというのは、陰謀は存在するという事である。
陰謀は、特定の団体や民族にかぎた事ではない。
陰謀というのは、組織や団体、機関、或いは、個人が自分の意志を何らかの形で他の組織や、団体、機関に強要しようとした場合、相手に悟られないように謀る事である。
そうなると、殆どの国や宗教が陰謀に荷担しているとも言える。
だから、陰謀が存在しないとは言わない。
間違った半分というのは、仮に陰謀があったとしても、特定の勢力や宗教団体が
世界全体を支配しているということはあり得ないという事である。
陰謀というのは、隠れた謀略であるが、この様な謀略は国があれば国の数だけ少なくともある。
更に言えば一つの国家の中に複数の集団や勢力があれは、その数だけ陰謀はあると言える。
それに何も陰謀だけが謀略ではない。
謀略は、裏にあるだけでなく。世間の表にもある。
しかも表に現れた政略や戦略の方が効果は大きい。
陰謀はあくまでも陰謀であって表に現れなければ、裏の世界で終わってしまう。
又、仮に特定の勢力や民族が世界を支配したとしてもその瞬間から分裂が始まる。
謀略は謀略である数多くの人間が知るところとなったらその効力は薄れる。
そうなるとごく限られた範囲でしか謀略は謀れない。それではその効力が及び範囲もしれた事である。
世界を支配するためには、それ相応の規模の組織が必要とされるのである。
しかも、それに関わった人間の意思が統一されなければならない。
意思を統一するためには、相当の教育が必要となる。
表にある国家ですら意志統一のための教育は困難なのである。
陰に隠れた謀略機関が国家に匹敵する教育を施す事には自ずと限界がある。
大体、人間がこの世の全てを支配できるなどと言う馬鹿げた妄想は捨てるべきである。
その様な妄想が陰謀論の背後にある。
どんな独裁者も、聖人君子も、英雄も死という現実から逃れられないのである。
不老不死の妙薬を探し求めた独裁者がその妙薬だと騙されて呑まされた水銀によって中毒になり、死んでいく。
神を否定する者は自らを神としてやがて自滅していく。
どんな陰謀も神の力の前には無力であり、無意味なのである。
人間の力には限界があるのである。
謀略機関の指導者達に神に匹敵する万能の能力があるのならば話は別であるが、彼等に、全知全能の力はない。
それは神の力である。
神と同じ力を持つと前提するならば、彼等の支配はむしろ歓迎すべき事である。
しかし、神に匹敵する力を持っていると過信する事自体、明らかな限界を表している。
陰謀論というのは、馬鹿げた妄想の域を出ないのである。
人は神にはなれない。
陰謀を探る暇があったらもっと表に現れた歴史を学ぶべきなのである。
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