2001年1月6日
神について思う
神は、なぜ沈黙するのか
神は、なぜ沈黙するのか。
言葉は不完全なものです。
そして、一度外に発せられると人は、その言葉に囚われる。
それに、言霊と言う思想を持つ日本人は、言葉に不思議な霊力があると信じやすい。
そうなると、尚更、言葉に囚われる。
言葉に力があるとしたら、それは、自分の言葉です。
なぜならば、それは、内に向かって発せられた言葉だからです。
何が正しくて、何が間違っているかは、あなたの行いに現れます。
なぜならば、あなたの行いに対する報いは、あなたが受けなければならないからです。
その時、言葉は無力です。
神は、何も言わずともその真実を現すことができます。
神が声を発すれば、それ自体神の不完全性を意味するのです。
ですから、神は沈黙する。
神は語る必要もないのです。
説明もいりません。
神は絶対なのです。
故に、神は沈黙する。
神が沈黙を守るから言論の自由は保障されている。
我々は、自分達が窮地に追い込まれると神に救いを求める。
そこで何等かの啓示が出され、窮地を脱すると、神に感謝する。
しかし、例えそこで窮地を脱したところで、人間は、いつか、死ぬのである。
結局、最後には、神は、奪い尽くすのである。
それだから、神は、無慈悲だというのは間違いである。
我々に我々の全てを与えたのは、神なのである。
我々が窮地に陥った時、その窮地を救った者がいても、
それは、神ではない。
感謝するのならば、神にではなく。
その者に感謝すべきなのである。
神への感謝は、ひたすらに、普遍的な者に対する感謝でしかない。
だから、何があろうと、神への感謝は欠かせないのである。
その時々に、与えられる啓示は、相対的なものにすぎない。
神の啓示は、不変的なものでなければならない。
諸行無常、この世に不変的なものがないとするならば、
神は、沈黙するしかないのである。
故に、神は沈黙するのである。
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