2013年10月23日 11:07:32

神について思う

神に選ばれし者



私の信仰する神は、赦し尽くす神です。ですから、善悪の問題は、自己の問題となる。
私が言いたいのは、この自己という概念が欧米哲学に欠如して、東洋哲学にはある。
しかし、東洋哲学は、総て自己の内に向かってしまって、外に向かって自己を実現できない。
つまり、西洋と東洋は、表裏の関係にあってこの二つの哲学が一つになった時、神の救済が実現する。
この事に気がついた者は、今は、私以外にいない。
しかし、私の内に留まっていたら神は出現しない。
解りますか。
私以外の人がこの事に気がつき実践した時、神はこの世に蘇るのです。
そして、その人こそ神に選ばれた者なのです。
私は凡人です。
私は、神になろうなんて思わない。
聖人になろうとも思わない。
超人や英雄、君主になろうとも思わない。
天才になりたくてもなれないし、
有名人になりたいとも思わない。
不必要に金を儲けたいとも思わない。
ただ人である事を極めようと思う。
金を儲けても人生を狂わせたらつまらない。
金のために生きるような生き方はしたくない。
地位や名誉を守るために自分を見失うような生き方をしたいとも思わない。
金の奴隷や亡者にはなりたくない。
友や仲間を大切にしたい。
友や仲間を裏切ってまで出世したいとは思わない。
人を欺いたり、騙したりするような生き方は金輪際いやだ。
人を信じ、助け合って生きていきたい。
世の為人の為に役立つ生き方がしたい。
人を妬んだり、やっかんだりするような生き方はしたくない。
家族と憎しみ合い、いがみ合うような人生は送りたくない。
愛する人に優しい生き方がしたい。
浮気を自慢するような生き方はしたくない。
愛する人を守っていきたい。
愛欲に溺れて家族を捨てるなんて愚かな事だ。
自分に愚直なほど正直に、誠実な生き方をしたい。
当たり前な事だから、当たり前に大切に守っていきたいのだ。
当たり前でない生き方なんて望まない。
だから、神と共に生きていきたい。
自分より優れた人の話を聞き。
仕事をしては、共に泣き、笑い、分かち合う。
上手くいった時、抱き合って喜び合い。
悲しい事に出会ったら、肩を叩いて慰め合う。
私は、信じ合い、助け合える人と人の関係が作りたいだけなのです。
そして、最後までその関係を守りたい。
高級な老人ホームで一人孤独な死を迎えるくらいなら、貧しくとも信じ合える家族や友に最期を看取られたい。
平凡な人間、普通の人間でありたい。
何の取り柄もなく、平凡な人間であるからこそ、信仰を遂げる事ができるのだと信じます。
そして、名もなき平凡な人達こそ神を出現させる事ができるのだと思います。
それが神の偉大さの証です。
それが自由主義であり、民主主義の根源です。
もう一つ大切な事は、神と自己とは常に一対一だという事です。あなたと神との間を隔てるもの何もなく。常に、神とあなたとは直に接しているという事です。
ですから、いかなる者もあなたと神との間だに介在できない。それが私の言う神です。
あなたの神は、あなただけの神です。だから唯一であり、絶対的なのです。
僕は、科学者です。科学を否定する気はありません。
しかし、真の救済は科学にはありません。かといって東洋的神秘主義にもありません。
真の救済は神にしかありません。
そして、その神を出現できるのは、東洋と西洋の狭間に存在する、そうです、日本なのです。
光は東方より来たる。
これが人類古来の伝承である事を思い出して下さい。
そして、極東に位置する国、それが日本なのです。
光は東方より来たる。
それが人類最後の希望です。

神にあなたは選ばれたのです。
神はあなたを選んだのです。

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