2013年10月23日 11:07:32

神について思う

平凡に生きる


現代社会では、平凡さや普通である事に価値を見いださない。
何でもかんでも非凡になれと特殊なことを求める。
しかし、非凡という事は、異常だという事にもなる。

平凡や普通に生きるというのは、結構、難しいのである。

何をもって成功というのであろうか。

生き方に成功や失敗があるのだろうか。
非凡とか特別な生き方というのは、他人と比較した上で成り立つことである。

そういう意味では、平均や平凡も同じかもしれない。
ただ、自分に正直に生きようとしたら、結局、平均的で平凡な生き方になってしまうのかもしれない。

平均的とか、平凡というのは、均衡がとれるとか、中道的な生き方とも言える。
極めて常識的、普通な生き方である。
しかし、それが自分に忠実な生き方だとしたら、平凡な生き方にだって自信を持つべきである。

他人と変わった生き方をしなければとか、他人よりお金持ちになりたいと
他人と比較ばかりをしても幸せにはなれない気がする。

平凡だって良い。普通だって良い。
それが自分らしく生きる事ならば。
誇りをもって平凡な生き方をすべきなのである。
気取ることなく、粧うことなく。
ただ自然に振る舞えば良い。

聖人も、賢人も、結果でしかない。
聖人も、賢人もなろうとしてなれるのではない。
人は、神を越えられないのである。

神を越えられない存在ならば、完璧さを求めることの方が間違いである。
人は神にもなれないし、神を越えることもできない。
当たり前に過ちを犯し、失敗をする。
大事なのは、過ちに気がつき、失敗をした後の姿勢である。

結局、最後は、何も粧うことも許されずに神の前に立たされるのだから。
悔い改めることが肝心なのである。
自分は完璧だ、完全無欠だと思い込んだら、お仕舞いである。

ただ、その時、その時を真正直に、自分に忠実に生きる事である。






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