2013年10月23日 11:07:32

神について思う

何を信じて



死後の世界が本当にあるのか、ないのかの問題ではなく。
天国と地獄が存在するか否かの問題でもない。
何を、信じるかの問題なのです。

同じように、地球外生命がいるかどうかが、問題なのではないのです。
この宇宙全体を支配する存在を信じられるか、否かの問題です。

そして、自分が信じている事がその人にとっての現実なのです。

死後の世界があると信じている人にとっては、死後の世界は現実です。
地獄を信じている人は、地獄に落ちる事を怖れて身を正すのです。

極楽へ生まれたいと思って善行を積むのなら、それはそれで意義があります。
信じる事で生き甲斐を見いだしたり、生きる目的を見いだせたら、
それはそれで神の意志だと私は思います。
それを暴力的に他人に強要しないかぎりに於いてですけれど・・・。

ただ私は、今の生き方が何を信じるかによって変わるとは思ってはいません。
突き詰めてみれば同じだと思いからです。
天国に行きたくて善行を積むのも、ただひたすらに神を信じて善行を積むのも善をなすことに差はありません。
肝心なのは、自分が今どの様に生きるかです。
何を為すかです。

刹那は、永遠に繋がっている。
死後の世界があるかないかに拘(こだわ)って今の生き方を変えるのは、
今に囚われて、今を生きていない証拠です。
この瞬間、瞬間に全身全霊で最善を尽くして生きていくしかない。
だとしたら、前世に犯した罪を償う必要もなく、死後を怖れる事もない。

世の中には、やれ反日だ、嫌韓だ、反中だと騒いで生きている人もいるが、
怨みや、憎しみに囚われていたら己を見失いだけです。
そんな恨み言は死んでしまえば同じです。
神の前では、無意味です。
神は、全てを超越されたところに存在されているのです。
怨みも憎しみも自分の心を豊かにしてくれるわけではないのです。
死後の世界を信じ、生まれ変わりがあるとしたら、
反日だと騒いでる者が日本人に生まれ変わる事だってあり得ます。

彼等は今に囚われて今を生きていない。

何を怖れるべきなのか。
人類の滅亡を怖れるべきなのか。
破滅を怖れるべきなのか。

怖れるべきは、
憎しみや怨みに囚われて、
自らの真実を捨て去る事です。

人は神によって生かされているのです。
怖れるべきは神のみです。

全ては神の御心に従うしかないのです。
だから突き詰めてみれば、今の自分に正直になるしかないのです。
生かされている自分を自覚し、
自らを生かす道を求めるしかないのです。
他人を恨んでも何も生まれません。
純なる魂は普遍なのです。
今、この時に、最善を尽くして生きていくしかないのです。
生きるしかないのです。
神を信じて。

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