2013年10月23日 11:07:32
神について思う
何が正しくて、何が間違っているのか
何が正しくて、何が間違っているのか基準は、
所詮、自分との関わりによって決めるしかない。
自分を超えたところにある善悪は、知ることはできないのである。
だからこそ、最後は信仰でしかないのである。
何が幸せで、何が不幸なのか。
同じ境遇でも、幸せだと思う人と、不幸だと感じる人がいる。
何が幸せで、何が不幸なのかは、
その人その人の心が決めるもの。
幸せは、自分で感じるもの。
幸せと感じるのは、自分であるが、幸せと感じさせるのは神である。
神を信じる心があれば、いかなる迫害も幸せだと感じる事ができる。
パンをよこせと叛逆した者が、国のためと死んでいく。
何がそうさせるのか。
どの様な栄耀栄華を極めようが、
どの様な権力や地位を得ようが。
どの様な権威を得ようが。
心の平安を得られなければ、人生の勝者にはなれない。
逆に、どの様に貧しくとも、
どの様な迫害を得ようとも、
例え、戦いに敗れ、志に殉じることになったとしても
心の平安を得られれば、人生の勝者となれる。
故に、信仰なき者は、最終的な勝者にはなれない。
反対に、信仰ある者は、常に勝者である。
信仰こそ、全てなのである。
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