2013年10月17日
神について思う
頑 固
人は頑固である。
人は頑なに神の許しを拒む。
それがどれほど、自分達を苦しめているのか、解っていないのである。
それでいて神を信じているもないのである。
本当に、神を信じているというのなら、もっと自分の運命に素直になるべきなのである。
人は神に対してばかりでなく。
他人に対しても頑なである。
頑ななほど、人は、相手の話を聴かない。
それでいて、相手に向かって自分の話を聴いてくれないと怒る。
相手の話を聴いたら、沽券に関わるとでも思っているように見えるくらい相手の話を聴こうとしない。
相手に教わる事は、自分が相手に負ける事のように捉えている。
六十近くなっても挨拶もろくにできない者すらいる。
それは、我々の世代は、挨拶は封建的だ。
挨拶とはなんぞやみたいな事を吹き込まれたからである。
そのために、人と人との一般的なコミュニケーションもとれない者が増えている。
我々の世代は、何でもかんでも反権威、反体制を唱えていればいいと教え込まれた。
その結果、自分達の後輩達が苦しんでいる。
何でもかんでも礼儀作法は封建的だと決めつけて、当たり前な相手に対する気配りまでなくしてしまった。
そのくせ、何も新しい事は、作り上げてこなかった。
つまり、壊すだけ壊して、創造的な事は何もしてこなかった。
その結果、頑なである。
個性だの、主体性だの、独創性の尊重と言って、自分の言い分だけは押し通そうとする癖に、相手の主体性や独創性、個性は認めようとしない。
だから、お互いのコミュニケーションなんてとりようがない。
ただ、言いたい事ばかりを言って互いの考え方を尊重しようなどという気配は何処にもない。
それで誰も自分の事を認めてくれないと嘆いてばかりいる。
自分が認められたければ、先ず、相手を認めなければ・・・。
少なくとも年長の人は、自分よりも長く生きた分だけ知識も経験も豊富である。
しかし、今は、そんな事お構いなしである。
年長者であろうが、実力者であろうがおかまいなしである。
礼儀もへったくりもあったものではない。
子供の人権がどうのこうのと大人の人権なんて蔑ろにされる。
素直さや正直さは軽蔑の対象でしかない。
友達を出し抜いても成績が良ければいいし、金儲けができればいい。
人は、自分の限界を素直に受け入れるべきなのである。
そして、素直に神の慈愛を受け入れるべきなのである。
神の赦しを受け入れ、相手を受け入れれば、どれほど気持ちが楽になれるか。
でも、人間は頑なである。
万能の神などいない。人間の方が、俺の方が神なんかよりずっと優秀なんだと頑固に言い張るばかりである。
挙げ句に、神を超えたとか、神を支配しているとか言い出す始末。
己の罪や限界を認めたくないに過ぎない。
どれほどの天才であろうと、聖人であろうと、権力者であろうと神を超えられる存在は居ないのである。
それに神を超えられたとしても何の意味もない。
神と争ったところで勝ち目はない。得な事もない。
ただ、自分の限界を知り、神を受け入れるだけの話なのにである。
自分の罪を認め、悔い改め、神に赦しを請うだけなのに、頑なに人間は神の愛を拒み続ける。
愚かとしか言いようがない。
俺は神なんて信じないなんて胸を張って何の意味がある。
神を信じようと信じまいと、神には、何も影響しないのである。
そんな人間のちっぽけで、つまらない強がりなんて、神にとって、どうでもいい事なのである。
人間が戦いに明け暮れて、たとえ、滅び去ったとしてもそれは人事であって神事ではない。
神のあずかり知らぬ事。
人間が存在できるのは、神の愛故である。
人間が、勝手に争って滅んだしとても、
神を必要としないと叫んでも、
神の与り知らぬ事である。
現代は、宗教の悪い面ばかりが強調される。
社会主義国に至っては、宗教は弾圧され続けてきた。
しかし、宗教はしぶとく生き残り、解放されると瞬く間の内に広がっていった。
神が、人間を必要としているのではない。
人間が神を必要としているのだ。
人は、信じたくて神を信じているのである。
人は決して強い存在ではない。
どんなに強がったところで、人間はやがては死んでいく。
儚い存在なのである。
神など信じないと不安のうちに過ごすより、
この一時(ひととき)、神の許しをうけて、穏やかに過ごせる方がどれほど幸せな事なのか。
神に抱かれて孤独から解放されれば、どれほど気が楽になれるか。
その人間の弱さにつけ込む者がいるから、宗教は誤解されるのである。
真の神は人間を欺いたりはしない。
欺く必要もないのである。
神を頑なに拒む事でどれほど、自分が得をするというのか。
得る事は何もない。
ただ自分が、自分で抑えられないほど傲慢になるだけである。
人は、もっと神に対して素直になるべきなのである。
このホームページはリンク・フリーです
Since 2013.10.17
本ページの著作権は全て制作者の小谷野敬一郎に属しますので、一切の無断転載を禁じます。
The Copyright of these webpages including all the tables, figures and pictures
belongs the author, Keiichirou Koyano.Don't reproduce any copyright withiout
permission of the author.Thanks.
Copyright(C) 2001 Keiichirou Koyano