2012年12月11日
神について思う
幸せは
誰も、自分で望まなければ幸せにはなれない。
幸せになるためには、何よりも自分が大切なんだ。
幸せになりたくない。なりたくないという生き方をしている人によく出会う。
当人は、そんなことはない。
自分だって幸せなりたいと想っているんだという。
でも、その生き方は、幸せになりたくない。なりたくないという生き方なんだ。
自分の境遇を呪い、人の人生を羨んでいるばかりでは幸せにはなれない。
神を信じ、生かされていることに感謝するからこそ幸せになれる。
結局、幸せを望み幸せになる為に努力するのは自分でしかない。
だから、前を向いて生きるしかない。
幸せは、生きる喜びでしかないのだから・・・。
朝目覚めた時、
子供の寝顔を見た時、
ゆっくりとお湯に浸かった時、
自分の大好物を食べた時、
全速力で走った後に寝転んだ時、
日溜まりの中で温々とした時、
ふと、幸せだなと感じたならば、幸せな時は訪れるのである。
愛する人に出会い。
自分の全てを投げ出すことが出来るとしたら、
人は、幸せになれる。
自分以外の人の為に尽くす事が出来るとしたら、それは至福の時だ。
でも、人には自ずと限界がある。
人は、裏切る。
人は、老い、病み、死んでいく。
人は変わる。
神は、裏切らない。
神は、不変である。
神は、老いない、病まない、永遠である。
だから、神を感じた時、人は幸せになれる。
自分の何もかも委ね、身も心も捧げ尽くすことが出来るからである。
それは陶酔である。
だから、人は神を求め、神を必要とし、神に許しを乞うのである。
幸せになるために・・・。
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