2001年1月6日
神について思う
いつも神はあなたの傍に居られる
人間というのは、卑小で哀れな存在ですよ。
卑小で哀れな存在だから、
また、卑小で哀れな存在に気がついたから、
文学が生じ、哲学が生まれ、宗教が形成されたと思うんですがね。
ものの哀れというのですか・・・。
人間なんて、無力なものです。
無力だけど、生きる価値はあると思います。
己(おのれ)というのは、ある意味で虚しい存在ですね。
自分でありながら、自分一人では何もできない。
だから、こそ、他人を通して自分を見直さなければ、生きていけない。
ところが、多くの人は、そのことに気がついていない。
自分一人で生きていけるつもりでいる。
自分一人で何もできないと気がつけば、
それでも、自分を見失わずにすむのでしょうけれど、
そのことに気がつかないと、絶えず、己の幻影を追い求め
自分を失ってしまう。
自己という存在の核を失いますとね、
自己否定しかなくなるんです。
僕は、だから、自己は間接的認識対象だと定義するんです。
自己は、その存在自体で存在しているけれど、
その存在を認識するためには、何等かの自己以外の対象を必要とする。
つまり、自己は、直接認識できない対象だと言う事ですね。
それを自覚していないと、写し出された像を自分の真の姿だと錯覚してしまう。
でも、自分は自分なんですよ。
あなたの心の奥底に
あなたは小さく縮こまっているけれど
あなたは、あなたの傍らに、
何かの気配を感じませんか。
あなたが生まれるずっと以前から
あなたを暖かく包み込み、
あなたを優しく見守っている眼差しを
あなたは感じませんか。
あなたが生まれるずっと以前から・・・。
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