2001年1月6日
神について思う
私は、自問自答する。
死というものを突き詰めて考えてみると、
大概の悩み事なんて、どうでも良くなってしまう。
どうせいつか死ぬのである。
何をやったって同じだと考えてしまう。
終わりは、誰にもある。
確かに・・・。
しかし、その終わりが、いつ来るかは、
誰にもわからない。
死によって、全ては清算されてしまうのであろうか。
どんなに偉くなっても・・・。
極悪非道な行いをした者も。
逆に、立派な業績を残した人も・・・。
それこそ、聖人のような人も・・・。
戦争で犠牲になった人も・・・。
生きのびて栄華を極めた人間も・・・。
死によって全ては、清算されてしまうと言うのだろうか。
時折、私は、自問自答する。
好きなことをして、やりたいことをやり。
美味しい物を食べたいと思わないか。
誰に気兼ねすることなく。
欲望のおもむくままに
勝手自儘なの生き方を
生きたくはないか。
そう自問した後、
少し戸惑いながら、
でも断固として私は、私に、答える。
私は思わない。
そして、もう一度、自分に、問う。
それならば、神の意志、御心に従うと・・。
いや、それも違うな。
神を信じ、神に誠を尽くし、
今、自分が正しいと思っていることを、
徹底的に追い求めることさ。
例え、死によって全てが清算されるとしても、
私を生かしていてくれる何もかを信じ、
今、自分が正しいと信じていることを実現するために、
真一文字に突き進む以外にないではないか。
生は、過去形でも、未来形でもなく。
現在進行形なのだ。
我々は、今を生きているのだ。
今を悔いなく生きる。
大切なのは、自分が、自分として生きていくことだ。
それは、誰にでもない。
自分自身に問うことでしかない。
どうでも良いというと投げ遣りに聞こえるかもしれない。
でも、私が、どうでも良いというのは、死んだらどうなるかなんてどうでも良いという事である。
そんな事を思い煩うくらいなら、今、最善を策して生きよう。
そう言う意味で、どうでも良いなのである。
死を突き詰めてみると生に出会う。
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